2026.07.11

「スマートフォンの通知が鳴るたびに、心臓がドキッとする」
「パソコンの画面を閉じても、頭の中で仕事のチャットが鳴り続けている気がする」
「新しいアプリやシステムに変わるたびに、ついていけない自分に嫌気がさす」
こうした言葉で自分の不調を語り始める方が、ここ数年で目に見えて増えてきました。診察室でお話を伺っていると、うつ病や適応障害といった診断名の背景に、実は「デジタル機器やIT環境との付き合い方」が大きく関わっているケースが少なくありません。
今回は、そうした不調のひとつである「テクノストレス症候群」について、臨床経験を踏まえながら詳しくご説明していきます。ご自身やご家族に思い当たる点がないか、ぜひ最後まで読んでみてください。
テクノストレス症候群とは
テクノストレス症候群とは、パソコン、スマートフォン、各種業務システムといった情報技術(IT)機器・環境との関わりの中で生じる、心身のストレス反応の総称です。医学的な正式病名として単独で定義されているわけではありませんが、精神科・心療内科の臨床現場では、適応障害やうつ状態、不安障害、自律神経失調症などの診断名の背景因子として、日常的に遭遇する概念になっています。
この言葉自体は1980年代にアメリカの心理学者クレイグ・ブロード氏が提唱したのが始まりとされていますが、当時とは比較にならないほど、現代社会はデジタル機器なしには成り立たなくなりました。テレワークの普及、チャットツールでの常時接続、SNSによる四六時中の情報流入、業務システムの頻繁な更新――こうした環境の変化が、私たちの心にじわじわと負荷をかけ続けているのです。
当院ではテクノストレス症候群を大きく次の3つのタイプに分けて捉えています。
テクノ不安症
新しい機器やシステムの操作についていけず、強い不安や焦りを感じるタイプです。「自分だけが取り残されている」という劣等感を抱きやすく、特に中高年の方や、IT機器の操作に苦手意識を持つ方に多く見られます。
テクノ依存症
逆にデジタル機器に過度にのめり込み、手放すことに強い不安を感じるタイプです。常にスマートフォンを確認していないと落ち着かない、通知が来ていないか気になって仕事に集中できない、といった状態が続きます。
テクノ不適応症(複合型)
不安と依存が入り混じり、業務でのIT活用を求められる一方でうまく使いこなせず、それでいて手放すこともできないという、板挟みのような状態です。近年、このタイプに近い訴えをされる方が増えています。
どんな症状が出るのか
テクノストレス症候群でみられる症状は、精神面・身体面の両方に及びます。すべてが揃うわけではなく、人によって現れ方はさまざまです。
精神面では、理由のはっきりしないイライラ感、集中力の低下、物事への意欲低下、些細なミスへの過剰な自己嫌悪、そして「常に何かに追われている」という慢性的な焦燥感が特徴的です。特に、画面から離れた瞬間に「何か見落としているのではないか」という不安がよぎる、いわゆる「幻の通知音」を感じる方も少なくありません。
身体面では、眼精疲労や頭痛、肩こり、首のこわばりといった、いわゆる「VDT症候群」と重なる症状に加え、不眠や中途覚醒、動悸、胃部の不快感などの自律神経症状が出ることもあります。就寝直前までスマートフォンを操作していることで、脳が興奮した状態のまま布団に入り、眠りが浅くなるという悪循環に陥っている方も多く見受けられます。
こんな方は注意が必要です

臨床の場でお話を伺っていると、テクノストレス症候群を発症しやすい方には、いくつか共通する傾向があるように感じます。
- 真面目で責任感が強く、「メールはすぐに返信しなければ」「既読がついたのに返事をしないのは失礼だ」と考えてしまう方
- 完璧主義的な傾向があり、業務システムの小さな不具合や自分の操作ミスを過度に気にしてしまう方
- 仕事とプライベートの境界が曖昧になりやすい、在宅勤務中心の働き方をされている方
また、部署異動や転職、あるいは会社全体でのシステム刷新のタイミングで発症するケースも目立ちます。「今までのやり方が通用しなくなった」という変化そのものが、大きな心理的負荷になるのです。
症例のご紹介
ここで、診療経験をもとにした一例(プライバシー保護のため、複数の方の経過を組み合わせた架空の事例として構成しています)をご紹介します。
Aさん(38歳・男性・IT関連企業のシステムエンジニア)は、半年前に部署異動をきっかけに、これまで扱ったことのない新しい社内システムの運用担当になりました。もともと几帳面な性格で、業務に対する責任感も強い方でしたが、異動後しばらくして、朝起きた瞬間から「今日もあのシステムのエラーが起きていないか」と考えてしまい、動悸とともに強い倦怠感を覚えるようになったといいます。
休日にもノートパソコンを手放せず、家族と過ごしている最中も無意識にスマートフォンでメールを確認してしまう。夜は布団に入っても仕事のことが頭から離れず、寝つくまでに1時間以上かかる日が続いていました。次第に、以前は好きだった趣味の時間にも気力が湧かなくなり、「自分は仕事ができない人間なのではないか」という強い自己否定感を抱くようになったところで、ご家族の勧めもあり受診されました。
初診時の問診では、抑うつ気分や意欲低下といった、うつ病に近い症状が確認されましたが、詳しくお話を伺う中で、症状の中心にIT環境の変化への適応困難があることが見えてきました。そこで、抗うつ薬や抗不安薬による薬物療法と並行して、生活リズムの見直しや「オンとオフの境界を意図的につくる」ための行動面のカウンセリングを行いました。特に、就寝1時間前からはスマートフォンを寝室に持ち込まないというルールを一緒に決めたことは、睡眠の質を取り戻す上で大きな一歩になったようです。
治療開始から約3か月、Aさんは「エラーが起きても、自分一人で全部背負わなくていいと思えるようになった」と話されるようになり、休職を経て、現在は業務量を調整しながら職場復帰されています。
このように、テクノストレス症候群は、適切な治療とセルフケアの両輪によって、着実に回復していくことができるものです。
放置するとどうなるか
「たかがデジタル疲れ」と軽視されがちなテクノストレスですが、慢性化すると、うつ病や不安障害、あるいは睡眠障害といった、より本格的な精神疾患へと移行してしまうことがあります。特に、慢性的な睡眠不足は自律神経のバランスを崩し、心身両面の回復力そのものを低下させてしまうため、早めの対処が肝心です。
また、ご本人が「自分の甘えではないか」と感じて受診をためらってしまい、症状が進行してから来院されるケースも少なくありません。しかし、テクノストレスは環境要因が大きく関わる不調であり、決して個人の意志の弱さの問題ではないということを、まずお伝えしたいと思います。
当院での治療方針

当院では、テクノストレス症候群が疑われる患者様に対して、まず丁寧な問診を通じて、症状の背景にどのような働き方・生活習慣があるのかを一緒に整理していきます。その上で、必要に応じて以下のようなアプローチを組み合わせて治療を進めます。
薬物療法では、症状の程度に応じて抗不安薬や抗うつ薬、睡眠導入剤などを使用しますが、当院では「お薬に頼りきりにならない」ことを大切にしており、生活習慣の調整とあわせて、必要最小限の処方を心がけています。
カウンセリングでは、デジタル機器との付き合い方そのものを見直す認知行動療法的なアプローチを取り入れることもあります。「通知はすぐに確認しなければならない」といった思い込みに気づき、少しずつ手放していくプロセスをサポートします。
さらに、症状によっては産業医との連携や、企業側への就業配慮に関する情報提供を行うこともあります。働き方そのものが原因となっている場合、職場環境の調整が回復の大きな後押しになるためです。
ご自身でできるセルフケア
治療と並行して、日常生活の中で取り入れていただきたいセルフケアもご紹介します。
- 就寝前の1時間はデジタルデトックスタイムに:スマートフォンやパソコンから意識的に距離を置きましょう。難しければ、通知をオフにするだけでも効果があります。
- 休日に「オフラインの時間」をつくる:散歩や軽い運動、自然の中で過ごす時間は、常に情報にさらされている脳を休ませる上で非常に有効です。
- 「すぐに返信しなくても大丈夫」を自分に許可する:完璧を目指すあまり自分を追い詰めてしまう前に、周囲に相談したり、業務の優先順位を見直したりする習慣をつけていきましょう。
おわりに
テクノストレス症候群は、便利なテクノロジーに囲まれた現代だからこそ生まれた、いわば「時代の病」ともいえるものです。だからこそ、ご自身を責める必要は一切ありません。
「最近、パソコンやスマホを見るだけで気が重い」「休んでいるはずなのに、頭の中が休まらない」——そんな感覚が続いているようでしたら、一人で抱え込まず、どうぞ当院までご相談ください。丁寧な問診を通じて、あなたに合った回復への道筋を、一緒に探していきます。

監修医師:狩野 彰宏(阿佐ヶ谷メンタルクリニック)
医学部卒業後、大学病院・総合病院での精神科臨床を経て、当院を開設。地域の心療内科として、患者さまお一人おひとりに寄り添う診療を心がけています。